昭和の戦争・事件

張作霖爆殺事件とは何か?発生の目的・その後の影響をわかりやすく解説しました

張作霖爆殺事件とは?

なぜ張作霖は爆殺されてしまったの?

張作霖爆殺事件のその後の影響が知りたい

この記事では、昭和3(1928)年に発生した、張作霖爆殺事件の概要、影響、そして国内外の対応について解説します。

張作霖爆殺事件とは何か?

張作霖爆殺事件とは、昭和3(1928)年6月4日、満州(中国東北部)地域を支配していた張作霖(ちょう・さくりん)が、日本軍によって殺害された事件です。

張作霖は、中国統一を目指す国民政府の北伐軍との戦いに敗れて満州へ戻るところ、乗っていた列車ごと爆破されました。

張作霖爆殺事件張作霖爆殺事件の現場(出典:Wikipedia

事件の首謀者は、日本の関東軍(満州駐留の日本軍)の河本大作(こうもと・だいさく)らを中心とするごく少数の人物でした。

張作霖爆殺事件は、柳条湖鉄道爆破事件、満州事変から日中戦争、そしてアジア・太平洋戦争へと、帝国日本が破滅の道を辿っていくきっかけに位置づけられています。

日本国内では、事件発生から終戦まで犯人は公表されず、「満州某重大事件」という名前で呼ばれていました。

張作霖爆殺事件の年表

発生時期 できごと
昭和3(1928)年6月14日 張作霖爆殺事件が発生(満州某重大事件)
昭和3(1928)年7月1日 張作霖の息子、張学良が黒竜江・吉林・奉天 (遼寧)の東三省保安総司令に就任
昭和3(1928)年12月27日 田中義一内閣が報道機関に対して、記事差止を命令
昭和4年(1929)年7月2日 田中義一内閣が総辞職

参考文献:儀我 壮一郎「張作霖爆殺事件の真相」(専修大学社会科学年報第42号)。

張作霖爆殺事件が起きた背景・理由

関東軍の謀略によって引き起こされた張作霖の爆殺は、日本の国家指導層にとって思いがけない事件でした。

満州に駐留していた関東軍は、なぜ張作霖を暗殺したのでしょうか。

張作霖爆殺事件後、どのような影響があったのでしょうか?

事件が起きた背景・理由
  • 背景1.日本は張作霖を味方にすることで、満州の権益を確保しようとしていた
  • 背景2.日本は満州支配に手詰まりを感じ始めた
  • 背景3.張作霖に頼らずに満州を支配する方法を模索

背景1.日本は張作霖を味方にすることで、満州の権益を確保しようとしていた

日本は張作霖を支持し味方に引き入れることで、満州の権益を確保する政策をとっていたのです。

なぜかというと、張作霖は満州を支配していた奉天軍閥の指導者だったからです。

張作霖張作霖(出典:Wikipedia

当時の中国は、軍閥と呼ばれた地方の軍事指導者たちが、独自の軍隊をもって中国を分割統治し、その支配地域に利権をもつ列強と結びついていました

満州に利権をもち、張作霖と結びついた列強の国というのが、日本です。

日露戦争の勝利によって、ロシアから満州の利権を引き継いだ日本は、南部満州への勢力拡大を国家戦略の基本として進めていました。

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背景2.日本は満州支配に手詰まりを感じ始めた

しかし日本の満州支配は次第に雲行きが怪しくなります。

中国で新しく成立した国民政府(中国国民党と中国共産党が協力関係を結んだ)が、国民革命軍を編成し、中国を統一するために北伐(北方軍閥との戦い)を開始したのです。

この戦いに張作霖は連戦連敗したことで、関東軍の一部の軍人たちは、こうした現状に満州支配の手詰まりを感じていました。

背景3.張作霖に頼らずに満州を支配する方法を模索

日露戦争以来、同胞たちが多くの血を流して守ってきた「日本の生命線」である満州

国民政府の手中に落ちてしまうことを恐れた関東軍は、張作霖に頼らず満州を支配する方法を模索します。

そして考えたのが、軍隊を動かして満州を独立させる案です。

しかし軍隊を動かすには天皇陛下の御裁可が必要で、この案は実現不可能に思えました。

そこで関東軍の河本大作は、張作霖を国民政府が暗殺したかのように見せかける方法を考えます。

日中両軍の衝突を誘発し、満州の治安状態を悪化させ、それに乗じて関東軍を出動させ、満州を一挙に武力占拠することを思索したのです。

こうして、北伐の戦いに敗れ引き上げてくる張作霖を、国民政府の仕業に見せかけて、乗っていた列車ごと爆破し殺害したのでした。

張作霖爆殺事件のその後の影響

張作霖爆殺事件後、どのような影響があったのでしょうか?

事件による影響
  • 影響1.張作霖のあとをついだ張学良が、国民党政府に合流
  • 影響2.軍人による独断専行的な突出行動が生まれるようになった

影響1.張作霖のあとをついだ張学良が、国民党政府に合流

張作霖の爆殺を国民政府の仕業に見せかけ、混乱に乗じて軍隊を出動させて満州を占領しようと目論んだ河本でしたが、事態は思い通りには動きませんでした。

関東軍司令部は部隊の出動を認めませんでしたし、張作霖の後を継いだ息子の張学良(ちょう・がくりょう)は、爆殺を日本の仕業と考え、日本の反対を押しのけて蒋介石と和解し、国民党政府に合流したからです。

影響2.軍人による独断専行的な行動が生まれるようになった

日本政府はこの事件の処罰に大変苦慮しました。

関東軍や陸軍から処罰への猛反対があり、結局事件の首謀者である河本大作大佐は張作霖暗殺の罪については問われず、警備上の責任を問われて停職という処分に留まりました。

この結果、少壮将校たちは、法に違反した行為を行っても目的さえ正しければ処罰を受けることはない、軍が守ってくれるという甘えが植えつけられ、その後の軍人によるテロやクーデター、あるいは昭和6年9月18日の柳条湖事件に始まる満州事変のような独断専行的な突出行動を生む下地を作ってしまいました。

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張作霖爆殺事件の国内外の反応

新聞

張作霖爆殺事件により、国内ではこの対応をめぐって大きな騒動に発展します。

張作霖爆殺事件の国内の反応:田中内閣は総辞職

田中義一内閣

首相を務めていた田中義一は、国際社会での信用を得るためにも、真相の究明と犯人を厳重に処罰することを天皇に内奏(ないそう)をしました。

しかしこれに陸軍などが反対し、前述した通り、陸軍大臣は首謀者の関東軍河本の処分については曖昧にします。

事件を明らかにすることを望む天皇とそれを望まない陸軍との間で板挟みになった田中内閣は、結局天皇からの信任を失い総辞職することになりました。

張作霖爆殺事件の中国の反応:国内統一が進む

一方中国では、この張作霖爆殺をきっかけに、国内統一が進んでいくことになります。

先ほども述べたように、父を爆殺され、代わって奉天軍を率いることになった息子の張学良は、暗殺の真犯人は日本であると考え、敵を日本と定めて蒋介石の国民政府と合流することを宣言しました。

こうして南京国民政府は全国統一を完成し、中国を代表する唯一の統一政権となったのです。

謀略は皮肉にもその狙いとは真逆の結果を招き、日本が明治維新以来築き上げてきた満州の利権は失われてしまいました。

張作霖爆殺事件のまとめ

  • 張作霖爆殺事件とは、1928年に日本の関東軍によって張作霖が暗殺された事件のこと。
  • 田中義一首相は、張作霖爆殺事件の対応を曖昧にし、昭和天皇からの信任を失い辞任した。
  • 張作霖の息子である張学良は、この事件をきっかけに国民政府と合流。日本の満州の利権は失われた。

 

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勝田健太郎
勝田健太郎
近代日本史オタクのWEBマーケター。 慶應義塾大学法学部政治学科を卒業。学生時代の卒業論文のテーマは「親日派外国知識人が見た満州事変」。