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国名・地名

満州国(満洲国)の建国の経緯〜滅亡までをわかりやすく解説

満州国とは

満州国(満洲国)ってどんな国だったの?

現在もある国なの?地図上ではどこにあるの?

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日本の芸能人の出身者が多いことでも知られる満州国。

この記事では、満州国の建国の経緯から滅亡までの流れをまとめました。

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目次

満洲国(満州国)の概要(成立経緯と成立年月日)

満州国は昭和7(1932)年3月1日に、中国大陸の東北部に建国された国です。

昭和6(1931)年9月18日、柳条湖事件をきっかけに満洲事変が勃発すると、日本の関東軍によって満洲全土が占領されます。

のちに関東軍の主導のもと、独立した国家として「満洲国」が成立しました。

国名 満洲國(満州国)
建国年月日 1932年3月1日
滅亡年月日 1945年8月24日
首都 長春(1932年3月1日-3月14日)
新京(1932年3月14日-1945年8月9日)
通化(1945年8月9日-1945年8月9日)
皇帝 愛新覚羅溥儀(あいしんかくら・ふぎ)
スローガン 五族協和・王道楽土
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「満洲」という名前は、地名ではなく民族名です。

この地域に居住していた女真(じょしん)民族は、中国古来の自然哲学の思想である「五行説(水・木・火・土・金)」のうち「水」に縁があるとして、「満」「洲」と、いずれもさんずいの字を民族名に込めています。

そのため本来、「満洲」が正式な名称ですが、新字体が頻用される現代の事情を考慮して、東京歴史倶楽部では「満洲」と「満州」の名前を併記しています。

満洲国(満州国)の言語・宗教・風俗

満洲国
民族 漢民族
風俗 アヘンやモルヒネの需要が高かった
言語 山東語、北京語、満州語、蒙古語(モンゴル語)など
宗教 仏教、道教、喇嘛教など。

参考文献:東京朝日新聞 特別付録「新満洲国要覧 写真と解説」

満洲国(満州国)の経緯と理由

満州国建国の経緯

満州国は、以下のような経緯を経て建国されました。

建国の経緯
  1. 満州は「日本の生命線」と考えられていた
  2. 満州事変が勃発した翌年に満州国が建国される

経緯1.満州は「日本の生命線」と考えられていた

満州は日本にとっての「生命線=国家存続のための必要な地域」と考えられていました。

なぜなら満州からは石炭や鉄鉱石などの豊富な資源が取れる地域で、資源の乏しい日本にとっては重要な場所だったからです。

また昭和5(1930)年の昭和恐慌で頻出した貧困農民を保護することが急務となっており、満州こそが彼らの受け皿になる場所とされていました。

そこで満州地域を拠点としていた日本の関東軍は、柳条湖事件を引き起こし満州全土を制圧していきます。

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明治37(1904)年の日露戦争で日本は満州地域の遼東半島の租借権と、南満州鉄道の経営権を獲得しました。

その満州に派遣されたのが、日本の陸軍であった関東軍と呼ばれる人たちでした。

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経緯2.満州事変が勃発した翌年に満州国が建国される

満州事変が発生した翌年の3月1日に満州国が建国され、清国最後の皇帝の愛新覚羅溥儀(あいしんかくら・ふぎ)が満州国の執政(しっせい)に就任しました。

愛新覚羅溥儀満州国の執政・愛新覚羅溥儀

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歴史映画のラストエンペラーでは溥儀の生涯が描かれているわ。

建国当初は日本と満州は「共存共栄」といった、同列的な友好関係が築かれていました。

しかし徐々に満州国は「天照大神の神麻・天皇陛下の保佑」によって成り立つという完全な上下関係であることが示されるようになります。

国際的な満洲国(満州国)の否認とその理由

こうして日本は満州国を建国しましたが、国際連盟によって建国は否認されてしまいました。

建国が認められなかったのは、以下のような事情がありました。

満洲国否認の理由

満州事変勃発に際して日本は中国側から国際連盟に訴えられ、満州の地に調査団(リットン調査団)が派遣されました。

この調査は、昭和7(1932)年3月-6月までの3ヶ月間のあいだに渡って行われ、日本はこの調査中に満州国を建国していたのです。

同年9月に報告書が提出され、翌年2月の国際連盟の審議のなかで、日本の満州国建国は不承認という結果になります。

結果に不服を唱えた日本は国際連盟を脱退し、国際的な孤立路線を歩むこととなりました。

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国際的な日本非難に対して、日本の満州行動を擁護していたコロンビア大学教授のF.Rエルドリッヂ氏は、「罪は満州侵略ではなく、国際連盟を蔑視したという事実である」との指摘をしています。

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満州国(満洲国)出身の有名人・芸能人

「満洲国は日本の傀儡政権だった」と述べたことからわかるように、満洲国には多くの日本人が居住していました。

1945年8月までに、約200万を超える日本人が満洲に居住しており、特定の外国に住む日本人との数としては最大規模を誇っていました(参考)。

そのため、満洲で生まれた、あるいは幼少期を過ごした著名人も多数存在しています。

有名どころだと、『天才バカボン』の赤塚不二夫氏も満洲生まれの日本人でした。

満洲国の出身者一覧

赤塚不二夫:1935年9月14日 – 2008年8月2日

板東英二:1940年4月5日(公称)

草野仁:1944年2月24日

小澤征爾:1935年9月1日

終戦直後に満州国(満洲国)は滅亡

日本は、漢人・満州人・朝鮮人・モンゴル人・日本人の「五族協和」王道楽土」のスローガンのもと、満洲国は「独立国家」であることをうたっていましたが、実質的には日本の傀儡国家でした。

しかし、大東亜戦争の末期に宣戦布告をしてきた赤軍(ソ連軍)によって、満洲国は侵攻されてしまいます。

8月15日に日本が敗戦を迎えると、8月18日に溥儀は「退位の詔勅(しょうちょく)」を読みあげ、満州帝国は建国から13年で滅亡しました。

満州国(満洲国)の現在の地図

2019年現在の満州の場所は、現在の遼寧省(りょうねい)、吉林省、黒竜江省の東三省と熱河省を含む地域にあたります。

現在中国では、かつての満州国は「偽満州国」という蔑称で呼ばれ、現在は「中国東北部」という呼称で呼ばれています。

満州国(満洲国)に関するおすすめの本・書籍

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そんなあなたのために、東京歴史倶楽部が厳選した満州国についてのおすすめの書籍を紹介します。

書籍1.キメラ―満洲国の肖像 (中公新書)

目次・あらすじを見る

【あらすじ】

一九三二年三月、中国東北地方に忽然と出現し、わずか一三年五カ月後に姿を消した国家、満洲国。今日なおその影を色濃く残す満洲国とは何だったのか。本書は建国の背景、国家理念、統治機構の特色を明らかにし、そこに凝縮して現れた近代日本の国家観、民族観、そしてアジア観を問い直す試みである。新たに満洲・満洲国の前史と戦後に及ぼした影響など、その歴史的意義を想定問答形式によって概観する章を増補した。

【目次】満洲国地図
題辞
序章 003
満洲国の影
傀儡国家・満洲国
理想国家・満洲国
キメラとしての満洲国家

第一章 日本の活くる唯一の途――関東軍・満蒙領有論の射程 019
満蒙――ゴルディアスの結び目
満蒙領有計画の発進
自給自足圏形成と国家改造
朝鮮統治と赤化遮断
対ソ戦略拠点
日米戦争と世界
最終戦論
満蒙領有の正当性根拠

第二章 在満蒙各民族の楽土たらしむ――新国家建設工作と建国理念の模索 061
独立国家建設への転回
省政府独立工作と石原の転換
干冲漢〔ユイチュウンハン〕と保境安民・不養兵主義
満洲青年連盟と民族協和
大雄峯会と興亜の大涛〔たいとう〕
橘撲〔たちばなしらき〕と自治の王道

第三章 世界政治の模範となさんとす――道義立国の大施と満洲国政治の形成 121
建国の動壊づけと仗義扶助
順天安民・五族協和の王道楽土
龍の帰郷――復辟を夢みて
執政は全人民これを推挙す
政府形態と統治実態の乖離
満洲国政治における四つの鍵概念

第四章 経邦の長策は常に日本帝国と協力同心――王道楽土の蹉跌と日満一体化の道程 183
槿花一朝の夢――逐われゆく日々
王道主義の退却――凍てつく建国理念
荊棘〔けいきょく〕の道――満洲国承認と鄭孝胥〔チョンシアオシュ〕
菊と蘭――帝制満洲国と天皇制の輸入
日満一体の背理――統治をめぐる相剋
メタモルフォーゼ ――キメラの変身
死生存亡、携を分たず――日本洲国の命運

終章 277
満洲国の双面性――民族の協和と反目
安居楽業――雪はナイフのように…
王道国家――国民なき兵営国家
キメラの死滅

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こんな人におすすめ

建国の背景や及ぼした影響をまとめて知りたい人

書籍2.満州国の首都計画―東京の現在と未来を問う (都市叢書)

目次・あらすじを見る

【あらすじ】

戦前、日本の植民地・占領地であった満州、中国本土、朝鮮、台湾の主要都市ではいずれも都市計画が実施された。なかでも新京=長春は近代日本の都市計画の理念と技術を全面的に適用した一大実験場であった。壮大なスケールの全容がいま甦る。混乱する現代の都市にとって新京の都市計画はどのような意味をもっているか。

【目次】
序章 新京と近代日本都市計画
1章 前史―長春の起源
2章 満鉄の都市経営と市街計画
3章 長春の市街地と都市成長
4章 満州国の首都計画
5章 国都建設計画事業一九三三‐三七年
6章 国都建設第二期事業と末期の百万都市計画
7章 新京の建築様式と建築の政治的表現
終章 新京と東京

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満州国(満洲国)のまとめ

  • 満州は日本にとっての「生命線=国家存続のための必要な地域」と考えられていた。
  • 満州事変が勃発した翌年に、日本の傀儡国家=満洲国が建国される。
  • 、満洲国は「独立国家」として、漢人・満州人・朝鮮人・モンゴル人・日本人の「五族協和」と「王道楽土」が宣伝された。
  • 大東亜戦争の末期に宣戦布告をしてきた赤軍(ソ連軍)によって、満洲国は侵攻される。
  • 日本の敗戦からまもなくして、満洲国も滅亡した。
  • 現在中国では、かつての満州国は「偽満州国」という蔑称で呼ばれ、現在は「中国東北部」という呼称で呼ばれている。

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勝田健太郎
近代日本史オタクのWEBマーケター。 慶應義塾大学法学部政治学科を卒業。学生時代の卒業論文のテーマは「親日派外国知識人が見た満州事変」。