二・二六事件の原因や目的は?
二・二六事件の後に発布された戒厳令(かいげんれい)って何?
明治維新以降、首都で起きた最大のクーデター、二・二六事件。
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目次
二・二六事件(226事件)とは何だったのか?
二・二六事件は、昭和11年(1936年)に起きた陸軍の青年将校による軍事クーデターです。
「尊王討奸(そんのうとうかん)」「昭和維新」のスローガンのもと、「君側の奸(くんそくのかん=天皇の側で悪政を行う者)の排除が計画されました。
この事件では、第20代内閣総理大臣で、当時大蔵大臣をつとめていた高橋是清(たかはし・これきよ)、内大臣の斎藤実(さいとう・まこと)、な教育総監の渡辺錠太郎(わたなべ・じょうたろう)らが殺害されました。
二・二六事件の主要な被害者
被害者名 | 役職と生死 |
---|---|
松尾伝蔵 | 内閣総理大臣秘書官事務取扱(死亡) |
高橋是清 | 大蔵大臣(死亡) |
斎藤実 | 内大臣(死亡) |
渡辺錠太郎 | 教育総監・陸軍大将(死亡) |
鈴木貫太郎 | 侍従長・海軍大将(負傷) |
二・二六事件が起きた背景
二・二六事件が起きた昭和初期の時代、世界恐慌により日本は深刻な不景気に見舞われていました。
都市部では失業者があふれ、農村部では農作物の価格が下落したことにより、農民の生活は苦しめられていました。
そのような状況のなかで、満州事変以降、資源獲得を目的に大陸の開拓を進めていた陸軍に期待が寄せられるようになりました。
二・二六事件を主導した陸軍の「皇道派」とは?
当時の陸軍には、「統制派」と「皇道派」と呼ばれる主な二つの派閥が存在していました。
統制派 | 皇道派 | |
中心人物 | 永田鉄山、東條英機など | 荒木貞夫、真崎甚三郎など |
支持勢力 | 陸軍の中堅幕僚層 | 青年将校層 |
主張・関心 | 統制経済による国家運営 | 天皇を中心とする精神主義的な国家運営 |
※主張・関心は片山杜秀『未完のファシズム「持たざる国」日本の運命』(新潮選書、2012年、176-178頁)を参照。階級は昭和11年当時のもの。
「統制派」は陸軍の高官が中心になった派閥で、資源のない日本が無駄なく経済発展を遂げるための経済運営に関心がありました。
これに対して「皇道派」は、天皇を中心とした政治体制=天皇親政を目指していた派閥です。
皇道派の青年将校たちは、新しい政治体制を築くために、財閥や政党内閣を標的としたクーデターを企てていました。
二・二六事件の決起者はおよそ1,500名
二・二六事件にはおよそ1,500名の陸軍兵士が参加しています。
中心となったのは、安藤輝三(あんどう・てるぞう)陸軍歩兵大尉、栗原安秀(くりはら・やすひで)陸軍歩兵中尉など、皇道派の影響を受けた一部青年将校たちでした。
安藤輝三(あんどう・てるぞう)陸軍歩兵大尉(出典:Wikipedia)
決起した将校は20名ほどで、多くのクーデター参加者は上官である将校の命令に沿って行動しただけとされています。
将校 | 20名 |
---|---|
元将校 | 2名 |
准士官 | 2名 |
下士官 | 88名 |
兵 | 1357名 |
- 動画0秒~52秒:元陸軍将校・西田税の妻・ハツが、栗原安秀中尉にかけた電話
- 動画53秒〜2分3秒:北一輝から栗原安秀中尉にかけた電話
- 動画2分4秒~9分12秒:歩兵第三連隊機関銃隊の高橋丑太郎が、安藤隊が宿所とした料亭「幸楽」にいた陸軍軍曹・上村盛満にかけた電話
二・二六事件で昭和天皇は激怒し、叛乱軍の鎮圧が行われた
二・二六事件発生直後、この事態に激怒したのは昭和天皇でした。
危機的状況に面していた昭和天皇は、事態を把握していた海軍に対してクーデターの決起部隊に加わらないことを約束させ、海軍に鎮圧を準備するよう命じる「大海令」を発令しています(参考)。
また事件の収拾をつけるため戒厳令(かいげんれい)が東京市(現在の東京都)に敷かれ、天皇の勅令のもと、叛乱軍の武力討伐が行われることになります。
天皇親政を目指して引き起こされたクーデターですが、皮肉なことに、天皇のもとに政府も軍部も一体となって決起部隊の討伐が行われました。
それもそのはずで、この事件で殺されたのは天皇陛下が熱い信頼を寄せていた人物たちだったからです。
戒厳司令部は約2万4000人の兵力で反乱軍を包囲し、事件から1週間後の3月4日には鎮圧されます。
二・二六事件後に出された戒厳令のビラ(出典:Wikipedia)
戒厳令とは、戦争などの非常時に発令される非常法のこと。
戒厳令が敷かれると、立法・司法・行政事務は戒厳司令官の権限に移される。
二・二六事件の鎮圧にあたったのは、満州事変首謀者の石原莞爾
また二・二六事件の反乱の鎮圧にあたった人物の中に、満州事変(1931年)の首謀者の石原莞爾(いしわら・かんじ)がいたことはよく知られています。
石原は、二・二六事件から4年前の五・一五事件は擁護していましたが、今回の事件では、五・一五事件のときとは異なる以下の2つの事実に激怒したと言われています。
- 青年将校たちが、天皇陛下の武器や兵隊を使って躍起(やっき)した点
(五・一五事件は民間の金で武器を購入) - クーデターの目的も何も知らない兵士たちを、雪の日の朝に叩き起こして事件に引きずり込んだ点
参考:早瀬利之『石原莞爾と二・二六事件』潮書房光人社、2016年、3頁。
参謀本部の石原完[莞]爾[作戦部長]からも町尻[量基]武官を通じ討伐命令を出して戴き度いと云つて来た、一体石原といふ人間はどんな人間なのか、よく判らない、満州事件の張本人であり乍らこの時の態度は正当なものであつた。
『昭和天皇独白録』(文春文庫、1995年、39頁)。
一方で、二・二六事件から四年前に引き起こされた五・一五事件のときには、決起した海軍将校に同情の姿勢を示していました。
二・二六事件の国内・海外の新聞の反応
二・二六事件の報道は、治安維持の観点から事件同日の午前7時に内務省警保局長によって記事の差し止め通牒が発せられています 。
その後事件に対する動揺を抑えるために、同日の午後6時半には差し止め通帳は解除されたものの、当局が発表するものに限り報道されるようになります。
この項目では、二・二六事件に対する日本国内外のメディアの反応について解説します。
二・二六事件に対する国内メディアの反応
事件発生直後は上に述べたように、当局による発表をそのまま掲載するのみにとどまっています。
また社説やコラムなどでも論調に大差はなく、政党の堕落への打開策や、事件後の賢明な対応を要求する論調が主流を占めています 。
一方で少数派ではあるものの、讀賣新聞3月3日付の「よみうり直言」では、「政党は泰然として腰を抜かし、コトリともせず」と、事件に際して怯えて何もできない政党を皮肉る誌面も存在しました。
二・二六事件に対する海外メディアの反応
日本の英字新聞のジャパンタイムズ、イギリスのロンドンタイムズ、アメリカのニューヨークタイムズなどの新聞は、いずれも事件を大々的に報じています。
事件そのものに対しての反応
二・二六事件の原因に対しては、海外各誌がさまざまな形で分析をしています。
たとえばニューヨークタイムズ(1931年3月1日)では二・二六事件の要因、貧しい農家出身の青年将校が、財界と癒着を行なっている政治家を打倒しようとした結果としています。
またロンドンタイムズ(1931年3月2日)では、軍部の趣旨に沿った政府の樹立を目的として行われた事件との分析が行われていました。
二・二六事件の際の日本の言論統制に対しての反応
また事件当時に行われた言論統制に対しては、「徹底的な検閲によって、日本からの確信ある情報が得られない(1936年2月26日のワシントンポスト)」と、日本の情報統制が批判的に伝えられています
。二・二六事件のその後と事件による影響
この項目では二・二六事件のその後の影響について解説します。
- 影響1.皇道派に影響を与えたとされた北一輝らが処刑された
- 影響2.陸軍の統制派が影響力を増していく
影響1.皇道派に影響を与えたとされた北一輝らが処刑された
この事件に関与した陸軍将校たちは、叛乱罪(はんらんざい)で処刑されます。また、皇道派に影響を与えたとみなされた、民間の北一輝(きた・いっき)、西田 税らも1年後には処刑されました。
北一輝(出典:Wikipedia)
陸軍上層部は、二・二六事件が北一輝に指導された青年将校によって引き起こされたというイメージを作り出したのです。
二・二六事件の処刑地は東京都の渋谷に存在
ちなみに二・二六事件の首謀者による処刑は、現在の東京都渋谷区にあった旧東京陸軍刑務所敷地内で行われました。
現在では二・二六事件慰霊碑が渋谷区宇田川町1-1に建てられています。
出典:Wikipedia
影響2.陸軍の「統制派」が影響力を増していく
またこの事件では、陸大卒のエリートに対する反発もあったとされていたことから、陸軍のエリートを象徴する徽章(きしょう)の「天保銭」が廃止されています
。この事件によって皇道派は失脚し、東條英機ら統制派が軍の権力を掌握していきます。
二・二六事件がもし成功していたら?
「二・二六事件がもし成功していたら?」という疑問に対する考察は今でも行われています。
たとえば、当時困窮していた一部農民からは、「二・二六事件が成功していたら生活が楽になっていたはず」などの意見もあります。
「終戦後のある日、GHQの占領政策を聞かされて驚きました。財閥解体、農地解放――二・二六事件で、青年将校が目指していたことと同じじゃないかと。私は貧しい農家の生まれですから、二・二六をいまでも支持しています。あれが成功して、農村の生活が楽になっていたら、満州事変だけで、それ以降の戦争はしなくてすんだと思うんです。
いかにもああいう人たちが戦争の導火線になったように言われていますが、全然違うと思います。それで、彼らがやろうとしていたことをアメリカがやってくれて、これは一体どうなってるんだ、と思いました。俺たちはなんのために戦争してたんだろうと思って、心底がっかりしましたよ」
出典:現代ビジネス
そのほかの考察では、以下のようなことが推測されています。
- 成功=天皇親政国家の誕生と定義する
- 成功しても戦争への道は避けられない
- 天皇主導の国家となり、敗戦を迎えた時点で昭和天皇の戦争責任が問われた
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二・二六事件のまとめ
- 二・二六事件は天皇親政を目指した陸軍行動派が引き起こした事件
- 二・二六事件の決起者は「叛乱軍」とみなされ討伐の対象に
- 二・二六事件に関与した陸軍将校は処刑された
- 二・二六事件により陸軍の統制派が力を強めていく
最後まで読んでいただきありがとうございました。
これらの二・二六事件に興味を抱いていたあなたのお役に立てていれば幸いです。
参考文献:
- 片山杜秀『未完のファシズム「持たざる国」日本の運命』(新潮選書、2012年)。
- 『昭和天皇独白録』(文春文庫、1995年)。
- 戸部良一『逆説の軍隊』(中公文庫、2012年)。
- 現代ビジネス