「柳条湖事件って何?」
「どんな影響があったの?」
「柳条湖事件とサイバー攻撃の関係は?」
この記事では柳条湖事件についてわかりやすく解説します。
目次
柳条湖事件とは?満州事変の発端となった事件の真相
柳条湖事件は満州事変の発端となった事件です。
昭和6(1931)年、9月18日、満州の奉天郊外の柳条湖付近で、日本の所有する南満州鉄道(満鉄)の線路が爆破されました。
関東軍はこれを中国軍による犯行と発表することで、満州占領の口実として利用したとの主張もあります。
柳条湖事件を引き起こした「関東軍」は関東州に派遣された日本軍のこと
柳条湖事件は関東州(旅順・大連を含む遼東半島南端部)に派遣された日本陸軍の組織です。
明治38年(1905年)のポーツマス条約の結果、日本はロシアから以下の権利を割譲されることとなります。
- 東清鉄道の内、旅順-長春間の南満洲支線と、付属地の炭鉱の租借権
- ロシアからの関東州(旅順・大連を含む遼東半島南端部)の租借権
これらの地域を守るために、日本から派遣されたのが関東軍でした。
関東軍の石原莞爾は、日本にはアメリカと戦えるだけの物資や資源を得る必要があると考え、その格好の地域として満州地域を占領することに決めたのでした。
柳条湖事件の立案者 | 関東軍高級参謀板板垣征四郎大佐と関東軍作戦主任参謀石原莞爾中佐 |
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柳条湖事件の実行者 | 奉天虎石台(こせきだい)駐留の独立守備第二大隊第三中隊の河本末守中尉ら。 |
柳条湖事件の指揮者 | 奉天特務機関補佐官の花谷正少佐、参謀本部付の張学良軍事顧問補佐官今田新太郎大尉 |
柳条湖事件の日本国内の反応
1.日本政府による反応
柳条湖事件から1日過ぎた9月19日には、永田町の首相官邸で臨時閣議が召集されました。
事件に対しての状況説明が南次郎陸軍大臣によって行われ、ときの首相の幣原喜重郎は「事態を拡大しないよう努力したい」とし、同日の午後一時半には内閣の不拡大方針を昭和天皇に奏上しています。
2.陸軍の反応
不拡大方針が奏上された同日、陸軍省と参謀本部でも合同会議が行われ、対策が協議されます。
このなかで満州での事件に対して調査確認が行われることなく、関東軍の行動が認められ、増員が決定されました
。戦前の制度上、作戦行動に関する指揮権は陸軍の参謀総長のもとにあり、首相は軍部をコントロールできなかったのです。
柳条湖事件のその後の影響
柳条湖事件は満州事変へと発展し、翌昭和7(1932)年2月には全満州を占領します。
若槻内閣による不拡大方針の声明があったにもかかわらず、関東軍はこれを無視して戦線を拡大し、チチハル・錦州・ハルビンなど満州各地を占領したのです。
その翌月3月には、清国最後の皇帝・愛新覚羅溥儀を担ぎ出して満州国を建国しました。
柳条湖事件以降の影響は以下のふたつの記事で記述しています。
柳条湖事件が発生した9月18日にはサイバー攻撃も
柳条湖事件が起きた9月18日には、中国を発信元とするサイバー攻撃が見られていました。
しかしここ数年は落ち着いており、2016年以降の攻撃の増加は確認されていないようです。
柳条湖事件のまとめ
- 柳条湖事件は満州事変の発端となった事件で、昭和6(1931)年、9月18日、満州の奉天郊外の柳条湖付近で、日本の所有する南満州鉄道(満鉄)の線路が爆破された。
- ときの若槻礼次郎内閣は「不拡大方針」を決定するも、関東軍は進行を拡大し、満州事変へと発展していく。
- 柳条湖事件が起きた9月18日には、中国側からのサイバー攻撃が行われていた時代もあった。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
またつぎの記事でお会いしましょう。
参考文献:
- 柳条湖事件が起こった9月18日前後の攻撃動向について(2019年6月10日アクセス)。
- 川田稔『満州事変と政党政治 軍部と政党の激闘』、講談社選書メチエ、2010年。